雄勝石とは

雄勝石の特性

雄勝石は地質学的には北上山系登米層古生代二畳紀(2・3億年前)に属する黒色硬質粘板岩であり、その特性は純黒色で、圧縮・曲げに強く、給水率が低いため、化学的作用や永い年月にも変質しない性質を持っています。その特性を生かし古くから硯の原料として、近代においては屋根等のスレート材として親しまれてきました。

また、雄勝石は、玄昌石とも呼ばれ、宮城県石巻市雄勝町産のものを呼びます。

「玄」は黒という意味をさし、「昌」は美しいという意味があります。黒くて美しいという意味からこの名がつけられたという説もあります。

雄勝石をたどる歴史

雄勝石の歴史は古く、その歴史は室町時代までさかのぼるといわれています。

 

古文書「建網瀬祭初穂料(タテアミセマツリハツホリョウ)」の中に「ヲカチノスズリハマ」(現在の採掘山「硯浜」)の名が出てきます。この硯浜の名も当時硯を産するため呼称されたに違いなく、すでに産されていたことが、伺えます。

 

その後、江戸期に入り、仙台藩祖伊達政宗公が牡鹿半島へ鹿狩りに出むいた際に、硯二面を献上したところ、いたく賞讃されたことが伝えられています。また二代忠宗公もその巧みな技に感服し、硯師を伊達家お抱えとし、硯石を産出する山を藩の「御留山」とするなど、一般の採掘を許さなかったといわれています。

 

さらに江戸後期の「封内風土記」の記録によれば当時すでに雅物として硯が産出され、特産品となっていたことが明らかです。

屋根に雄勝石のスレート材を使用している東京駅駅舎
屋根に雄勝石のスレート材を使用している東京駅駅舎

また明治期、日本の近代化と共に、雄勝石を原料としたスレート材の算出、石盤の製造が本格するなど活気を帯びました。当時、石盤は日本を代表する輸出品の一つしても数えられるほどでした。

 

建築資材としても重宝され、明治期、大正期には多くの建物に、雄勝産のスレートが採用され、今もなお、建築物としてその美しさをとどめています。経年変化への強さから、雄勝石は和・洋問わず多くの建物の屋根材として利用されており、その中には東京駅の駅舎も含まれています。

雄勝硯伝統産業会館 壁面に使われているスレート材
雄勝硯伝統産業会館 壁面に使われているスレート材
雄勝硯伝統産業会館 屋根に使われているスレート材
雄勝硯伝統産業会館 屋根に使われているスレート材

 

この様に、雄勝石と人々のつながりは深く、600年を超える歴史とともに、技と伝統が今に伝わっています。

 

雄勝硯は宮城県のみならず、我が国が誇る伝統的工芸品の一つと言えるでしょう。

そして雄勝石産業を取りまく環境は今もなお人々によって支えられ、時代と共に製品としての姿に彩を加えながら、脈々と「技と心」が生き続けていると言えるでしょう。

 

現在の雄勝石を取り巻く環境は、東日本大震災の影響もあり、未だ厳しい環境下にあると言えます。しかし多くの人々の協力のもと生産を再開しております。

 

昨今は、ライフスタイルに合わせたクラフト製品の製造や、テーブルウエアの開発にも力を入れており、雄勝石を加工した石皿は国内外からも食器として高い評価を頂いております。